MENUCLOSE

成約ストーリー

ナイスプランニング株式会社
代表取締役 西田 昌弘
(岡山県/業務請負業)
“幸せな引退”と事業の発展のため
2件のM&Aを実行
西田昌弘様ご経歴
大学在学中にミュージシャン(古時計)としてプロデビュー。レコード大賞新人賞ノミネートや複数の新人賞を受賞するなど活躍をしていたが、浮き沈みの激しい芸能界で活動を続けることに不安を覚え、しばらく活動を休止。一般企業に勤めた後、1994年にナイスプランニング株式会社(業務請負業/不動産業)を設立し、代表取締役に就任。2011年には株式会社ナイスジョブ(人材派遣業)を設立し、業容を拡大。
その後、音楽活動(歌手名:ジェームス西田)を再開しつつ両社の代表を務めてきたが、残りの人生を音楽活動に専念するため、2019年にエムレイスの仲介によって株式会社ナイスジョブを株式譲渡。2023年にナイスプランニング株式会社の業務請負事業を事業譲渡。
ご経歴について、詳細を教えてください。
私はもともと音楽が好きで、縁があってプロデビューをし、有り難いことに「大型新人」と呼ばれるほどに活躍をすることができました。ただ、芸能界で活躍し続けることは簡単ではないと知っていましたし、当時学生でデビューをして音楽以外に何も経験していない状態でしたので、このまま芸能界一本で過ごしていくことに不安を覚えました。そこで、芸能活動を休止し、一般企業に入社して普通の会社員として過ごす選択をしたのです。どうやら私は営業の仕事にも向いていたようで、入社したその会社でトップセールスとして活躍することができました。しかし、当時は過酷な労働環境が当然の時代で、私も激務が続いていました。このまま身を粉にして働き続けて良いのか、それよりもっと他に良い方法があるのではないかといったようなことを考えていた時に、友人の助言で、当時はまだメジャーではなかった「人材派遣・請負業」を知り、その仕事に将来性を感じたため、自身で会社を設立することにしました。
会社経営はもちろん大変ではありましたが、次第に会社が大きくなっていく面白さもありました。一時は売上13億円まで到達し、レイスグループの『顧問名鑑』も利用して事業拡大に励んでいました。しかし、その業種柄、リーマンショックをはじめとして景気浮沈の影響を受けやすく、大変な苦労をしたことも何度もあります。そんな中でも大好きな音楽を続けたいという思いがあり、会社経営のかたわら音楽活動を再開することにしました。ただ、経営者としての責任があるので最優先事項は会社のこと。音楽は、セーブしながらの活動となっていました。
なぜ、譲渡を検討するようになられたのでしょうか?
忙しい日々を送ってきましたが、65歳になる頃、今後の人生をどう過ごしたいかと考えた際に「会社経営は十分やりきった。今後の人生は音楽活動に専念したい」という思いが芽生えました。そこで、会社をたたんで廃業することも考えましたが、せっかくこれまで築き上げてきたサービスや顧客基盤をこのままなくしてしまうのは非常にもったいないと考えた私は、まず初めに親族への承継を検討しました。しかし、私の息子は自身で別の会社を経営しており、本人にも私の会社を引き継ぐ意志がなかったため、親族承継を選択することは叶いませんでした。次の選択肢として、社員への承継も検討しましたが、これは当社では現実的ではなかったため、断念せざるを得ませんでした。“会社の代表”という仕事は、営業ができるからといって誰にでも簡単にできるものではなく、総合的な経営能力(判断力、マネジメント力、交渉力など)が必要とされますよね。時には借金もしなければならないかもしれませんし、「どのようなことがあっても会社を背負う」という重いプレッシャーに耐えられる人間でないと務まりません。よほどチャレンジ精神がある人ならば良いかもしれませんが、なかなかそれを兼ね備えている人はいません。それならば、「同じ業種で事業拡大をしたいという企業と“お見合い”をして、会社の未来を託せる相手を見つけたい。自分が育ててきた事業をさらに発展・拡大させ、私ではできなかったことを実現してほしい。」と思うようになり、M&Aが最良の選択肢であると考えるようになりました。銀行や他の仲介会社からもM&Aの営業は受けていましたが、『顧問名鑑』でもお世話になったレイスグループの担当者が、M&A仲介を手掛けるエムレイスに異動したと聞いていたので、以前からの付き合いで私が信頼を寄せる彼にお任せすることにしたのです。
無事に2件のM&Aを完了された今の心境をお聞かせください。
結果的に、2件とも大成功だったと感じています。1件目のナイスジョブの譲受企業のS社長は、偶然にも私と同じ高校の出身ですぐに意気投合しました。面談や会食など交流を重ねると、私とはまた違うタイプの経営者で頭の良さも感じることができ、会社を任せる相手として申し分ありませんでした。実際に会社を譲渡した後は、それまでとはがらっと方針が変わり、譲渡後1年目で増収増益と、私も目を見張りました。従業員に対しても、初めて決算賞与を支払うことができ、非常に嬉しく思います。
2件目のナイスプランニングの業務請負事業の譲渡も、従業員や取引先にとって良い選択肢だったように思います。業務請負事業の営業所は兵庫県姫路市にあるのですが、私が普段本社のある岡山県にいて物理的な距離があることから、細やかなフォローができずにいました。譲受企業であるO社は同じ兵庫県にあるため、私ができなかった事業管理や従業員のフォローが可能になり、さらなる売上拡大や収益拡大に取り組まれています。
現在、まだ私はナイスプランニングの代表であるので、経営者としての出番が全くゼロになったわけではありませんが、長年背負っていた肩の荷が降り、音楽活動も積極的に行うことができています。ナイスジョブも、ナイスプランニングの事業も、譲渡することでさらに良い方向へと向かい、従業員にも還元することができました。もともとM&Aに対してあまり否定的な考えは持っていませんでしたが、今回のように譲渡側と譲受側の結びつけが上手くいけば「こんなに良いことはない」と思いますし、私自身も非常に満足しています。
M&Aを進めるにあたって、エムレイスの対応はいかがでしたか?
エムレイス担当者とは、『顧問名鑑』を利用していた時からの付き合いなので、もう十数年の仲になります。彼は、取引を始めた当初からずっと変わらず、私が投げかけたことを野球のミットのようにしっかりと受け止めてくれますので、私は彼のその真摯な姿勢をとても信頼しています。前述したとおり、銀行や他の仲介会社などから譲渡の話は複数いただいていましたが、私は付き合う人の“人柄”を重要視しているため、「以前、誠心誠意対応してくれた彼に任せたい」と思い、依頼しました。期待したとおり、満足のいく譲渡をすることができたので、私の判断は間違っていなかったのだと思います。振り返ると、この十数年で会社の成長から出口である譲渡までサポートしてもらい、非常に感慨深い気持ちです。ナイスプランニングの代表を降りて完全引退する日を目指し、引き続き、エムレイス担当者とともに歩んでいきたいと思います。
一覧に戻る
TOP